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相馬御風 詩人・そうま ぎょふう〜1883年〜1950年

昭和3年/1928

 詩人・歌人・評論家。「都の西北」で始まる、早稲田大学校歌作詞者としても 有名。新潟県生まれ。一元描写を定着させた岩野泡鳴らと、早大在学中に 「東京純文社」を結成。雑誌『白百合』を創刊し、処女歌集『睡蓮』を発表。『 早稲田文学』の編集社員も務める。後、三木露風、人見東明らと 早稲田詩社を結成し、口語詩推進の中心となる。「痩犬」などの口語詩、 『御風詩集』を発表する一方、自然主義文学の論陣を張った。母校では 講師として教鞭をふるった。主な作品に『還元録』『大愚良寛』 『相馬御風著作集』など。

 「朝の湯けむり ゆうべの湯もや ヨイトサノサ 草津ア湯の町 サアサヨイトサノ 夢の町」 と歌われる「草津小唄」の作詞者としても知られているのが相馬御風です。 草津小学校の沿革誌には「昭和3年9月26日、野口雨情、中山晋平両文人、 当町民謡研究トシテ来町ス」と、小唄の作曲者・中山晋平とともに 来草した記録が残されています。


西条八十 詩人・さいじょう やそ〜1892年〜1970年

昭和5年/1930

 詩人。『かなりや』に代表される童謡、流行歌『東京音頭』などの作詞家 としても知られる。東京生まれ。早稲田大学在学中から創作に励み、 日夏耿之介、三木露風らと交友。処女詩集『砂金』は高く評価される。 また、仏ソルボンヌ大学に留学し、後、母校の教授に。マラルメ、 ランボーの紹介に尽くした。さらに童謡童話雑誌『赤い鳥』に発表した 童謡「かなりや」が、新鮮でモダンな言葉づかいで反響を呼び、 曲としてもヒット。これを機に大衆歌謡の作詞家として名をなす。 戦時中は、多くの軍歌を作詞。戦後は、作詞界の大御所として著作権 協会会長を務めた。民謡作家としての功績も大きい。ほか 著作に『美しき喪失』など。

 西条八十の来草は、昭和5(1930)年。前年に『東京行進曲』 (中山晋平作曲)をヒットさせ、順調に作詞家としての実績を重ねていた頃の ことです。草津で滞在した宿には、八十直筆の書が残されています。


吉田一穂 詩人・よしだ いっすい〜1898年〜1973年

昭和39年/1964

 北海道生まれ。本名は由雄。少年時代から文学者を志し、早大英文科に 入学するが、生家の没落で中退。若山牧水、金子光晴などの友人、 北原白秋、島木赤彦などの先輩と親交を結ぶ。一穂の作品の特徴は、 「美しい詩を短い詩片で」創作すること。また俳句の「弁証法的構造に 厳密な比率の構造」を見いだし三行詩を創作するなど、実験的な詩人としても 知られていた。同時代を生きた詩人に比べて、一般の人にはあまり知られて いないが、没後、一穂を称賛する詩人や文化人は多く、彼を師と仰いだ 地質学者の権威・井尻正二博士は「詩人 吉田一穂の世界」の中で、 一穂を「天才詩人」と評している。

 吉田一穂の名は、草津殺生河原に建てられた「山媛呼」「吉田一穂詩碑」でご存じの 方も多いでしょう。「山媛呼」の詩は、日本武尊と弟橘媛の哀しい伝説に心をひかれて 創作したものです。白根火山ロープウェイ山麓駅前に建つ、碑の文字の原型は、 達筆で有名だった一穂自らが執筆したものです。一穂は「山媛呼の碑」の除幕式 にも参列し、自作の詩を朗読しています。


野口雨情 童謡詩人・のぐち うじょう〜1882年〜1945年

昭和3年/1928

 現代でも歌い継がれている歌の作詞を手がけた童謡詩人。萩原県生まれ。 大正8(1919)年に童謡運動を開始し、民謡や童謡の創作や理論的指導などを 精力的に行った。『七つの子』『青い目の人形』などに見られる純真な童心を 歌い上げた作品を次々と創作。典型的な童謡イメージを確立した功績は 大きい。また、大正12(1923)年に発表した『船頭小唄』が同名映画の主題歌 となり全国的に流行した。のち『波浮の港』『紅屋の娘』などのレコードが 大ヒット。大衆に親しまれる歌謡曲も数多く手がけた。

 草津小学校の沿革誌に、「昭和3年9月26日、野口雨情、中山晋平両文士、 当町民謡研究トシテ来町ス」という記録があります。雨情は、草津をテーマに 「草津湯の香は ほんのりかをる/山や谷間の木の葉まで/昨夜夢見た 草津 の夢を/草津湯の香の 湯の夢を/草津草津と草津の湯場を/夢に見てさえ  なつかしい・・」と詩をつけています。


種田山頭火 俳人・たねだ さんとうか〜1882年〜1940年

昭和11年/1936

 定型にとらわれない自由律俳句の異才。山口県生まれ。荻原井泉水に 師事し『層雲』に出句するが、父と始めた酒造経営の倒産、弟の自殺、妻との 戸籍上の離婚など不運の連続と人間の崩壊を目の当たりにして無常を痛感し、 熊本県報恩寺で出家。以後、放浪の生活に。彼のトレードマークでもある 破れた笠、えごの木の枝、鉄鉢を手に流転の日々を句に託し、酒と旅の生涯を 送る。泥酔の果て、59歳で没する。戦後40年の間に50を超える句碑が 建立されている。各地に見られる山頭火の足跡は今もなお生き続け、漂泊の 人生は人々の心をとらえてやまない。句集に『鉢の子』『草木塔』『雑草風景』 など。

 昭和11(1936)年5月、信州から草津に向かった山頭火は、吾妻駅から電車に乗り込み、 夕方に到着。温泉には3日間滞在し、その間、よく寝て、食べて、飲んで、考えたそうです。 その時に「もうやめたへや湯けむり湯けむり」「ふいてあふれて湯畑の青き澄む」という句を 詠んでいます。


前田普羅 俳人・まえだ ふら〜1884年〜1954年

昭和22年/1947

 村上鬼城、飯田蛇笏らと並んで「高浜虚子門の四天王」に数えられた俳人。 ホトトギス派。東京生まれ、スタンダード石油、横浜裁判所、「時事新報」記者、 「報知新聞」富山支局長などの職を経験。その後『辛夷』の選者を経て主宰と なり、俳句一筋の生活を始める。生来、男性的な性格の普羅は山岳に親しみ、 これを題材に多くの句を詠んだ。特に、厳しく清冽な秋冬の山岳を愛し、「奥 白根かの世の雪を輝かす」など、宗教的な世界まで昇華させた自然詠が特徴的。 句集に『春寒浅間山』『飛騨紬』『能登青し』『定本普羅句集』など。

 富山時代の普羅の句は、その「暗さ」に創作の特徴がありますが、上州を 題材にした句はむしろ「明るさ」につつまれています。句集『春寒浅間山』の 「白根の巻<では、草津白根山をテーマにしたもののほか、数々の句を発表して います。「松蝉や白根颪に鳴き揃う」「吹雪やみ木の葉のごとき月あがる」など、 佳句揃い。


大野林火 俳人・おおの りんか〜1904年〜1982年

昭和25年/1950

 臼田亜浪門の俳人。横浜市生まれ。横浜一中時代から俳句を始め、 雑誌『芋の葉』を作り、前田普羅の『加比丹』に投句。その後、臼田 亜浪の門下に入り『石楠』に投句を続け、のちに『石楠』の最高幹部 同人になる。『濱』の創刊、『俳句』(角川書店刊)の編集なども行い、 昭和44(1969)年蛇笏賞を受賞する。昭和53(1978)年から俳人協会会長。 円満な人格を反映したような叙情的な作風が特徴で、晩年は”老”を 追究した作品を数多く発表。門下に、野沢節子、目迫秩父、村越化石 (草津・楽泉園)ら。句集に『海門』『冬雁』など。

 林火は、草津国立癩療養所・栗生楽泉園の病者を指導した「高原」の 俳句欄選者を、25年間務めました。昭和50(1975)年には、楽泉園・俳句会 出身で、林火門下生の村越化石が、俳句の最高賞「俳人協会賞」を受章。 これを機に、「高原」の名は、俳句界に広く知られるようになりました。 林火が草津周辺で詠んだ作品は137句にも及びます。


水原秋櫻子 俳人・みずはら しゅうおうし〜1892年〜1981年

昭和40年/1965

 近代俳句の巨匠。。写生と短歌的抒情を統一し、調べによって 感動をあらわす主観写生の句風で知られている。東京都生まれ。 中学時代より文学書を漁り、短歌に熱中していたが『渋柿派』に ふれ、俳句を始める。虚子門に移り、昭和22(1947)年、東大俳句 会の創立に関わる。『ホトトギス』の”四S”(ほかに阿波野青畝、 山口誓子、高野素十)と呼ばれ花形に。しかし、同派の「花鳥諷詠」の 純客観写生に飽きたらず、『破魔弓』を『馬酔木』と改題して主宰。 石田波郷らの逸材を育てたことでも有名。その後、無季非定型に進む 新興俳句運動の旗手と目されたが、有季定型を守って独自の作風を 磨いた。

 ベルツ博士銅像の傍ら、西の河原に立つ碑には、秋櫻子の句が 刻まれています。「銅像は永遠に日本の秋日和」。作者の意図は「銅像に そそぐ秋日和は、ベルツの心にふれているように、すがすがしい」という 点にあり、草津の恩人・ベルツの遺徳を讃えています。また、昭和40(1965) 年、41(1965)年に来草。記録には、高齢の秋櫻子が草津に遊んだ様子が伝えられて います。


竹久夢二 画家・たけひさ ゆめじ〜1884年〜1934年

昭4年/1929

 画家。詩人、グラフィック・デザイナーの先駆としても活躍。岡山県生まれ。 早稲田大学中退後、少年少女雑誌にロマンティックな挿絵、詩を発表し、 注目された。藤島武二のモダンな装飾性と鏑木清方の美人画から影響を受け、 目に憂愁をたたえた「夢二調美人画」を確立。感性豊かな表現は、絵はがき、 封筒、半襟のデザインなどに用いられ、幅広く愛された。代表作に『夢二画集』 や詩集『どんたく』。詩画、詩歌集などの出版物は50を越える。岡山市と 群馬県伊香保町に夢二美術館がある。また名曲『宵待草』の作詞者としても 有名。

 あたたかい人情にふれ、上州をこよなく愛した夢二。草津を訪れた際には、 よく通ったカフェーがあり、彼が「夢」と書いた店の看板も最近まで 掛けられていたとか。草津には夢二ゆかりの品がありましたが、 惜しいことに現在ではほとんど残されていません。また、町内のサロン「雲」では、 草津の画家・千木良富士、山口力雄と三人展を開きました。


山下清 画家・やました きよし〜1922年〜1971年

昭和26年/1951

 東京都生まれ。生来の知恵遅れのためにいじめられ、反抗して刃傷沙汰などを 起こし、精神薄弱教養用養護施設に収容される。ここで、手工芸作業としての 貼り絵に才能を伸ばす。式場隆三朗らの働きかけで世間に紹介されてからは、 その無心な表現力が注目を集めた。昭和15(1940)年秋に、18〜21歳まで徴兵 検査の恐怖から、学園を脱走。各地を放浪する。戦後も、学園での絵の制作と 気ままな放浪の旅を繰り返し、旅先でで出来事を『放浪日記』に収録。 昭和30(1955)年に画集を刊行。各地で個展が開かれ、「日本のゴッホ」と称された。

 山下清は、草津を訪れた第一印象を「草津にもろてん風呂がある」と端的に表現。 西の河原などをさまよい露天風呂に入浴、草軽電鉄駅で一泊しました。その時の様子は 代表作『放浪日記』に描かれています。また、貼り絵・西の河原「ろてん風呂」では、 草津で遭遇した人たちの群像を描いています。昭和33(1958)年、取材のため再び 来草した際には、天狗山でスキーに興じたりしました。


谷内六郎 画家・たにうち ろくろう〜1921年〜1981年

昭和38年/1963

 郷愁感あふれる叙情的な絵で知られる挿絵画家。東京生まれ。最初は漫画家として 出発し、『笛吹小次郎』や『魔の地中城』など、子供向けの漫画を描く。昭和30(1955)年、 『行ってしまった子 大人の絵本・幼き日の夢より』で、第1回文芸春秋漫画賞を受賞。 これを機に、挿絵画家へと転身。昭和31(1956)年に創刊した「週刊新潮」の表紙絵は、 長年に渡り多くの人に親しまれた。この表紙絵は死の直前まで執筆。晩年には障害者 施設「ねむの木学園」において、児童画教育に尽力。優れた絵本も発表しており、 作品には『ぎんのわっか』『びんのそら』などがある。

 谷内六郎は冬の草津を描くために、昭和38(1963)年に来草。スキー場の近くに 並ぶ商店の窓から、少女たちが糸で吊した人形で「リフトごっこ」している 光景を描いたもの。スキーヤーで賑わう町ですが、子供たちの間には、 ゆったりとした空気が流れている様子が伝わってきます。この絵は 新潮社発行の『谷内六郎展覧会(冬・新年)』に掲載されました。


前田青邨 日本画家・まえだ せいそん〜1885年〜1977年

昭和27年/1952

 大和絵風の線画と古い様式を生かし、知的な装飾的構成を確立した 日本画家。岐阜県生まれ。本名:廉造。尾崎紅葉のすすめで梶田半古の画塾に 入門。湯治の塾頭は、のちに日本画家の巨匠と言われた小林古径。今村 紫紅・安田靫彦らと紅児会を結成。初期文展で認められる。日本美術院展でも 中心的な画家として活躍。その後、東京芸術大学教授、昭和30(1955)年には 文化勲章を受章。歴史画・武者絵などの肖像画・花鳥画など幅広く描き、 日本画壇の長老となる。法隆寺金堂壁画再現事業や高松塚古墳壁画模写 の総監督に委託された。代表作は『洞窟の頼朝』『紅白梅』『風神雷神』 『唐獅子』など。

 青邨は、大正初期の再興第一回院展に『湯治場』三幅対(伊香保・修善寺・草津 )を出展しています。この中の草津の絵は、江戸末期の案内図を見て描いたものですが、 のちに実際に草津に訪れ、位置関係が違うことに気付き昭和27(1952)年 に書き直しました。下絵は、岐阜県中津川市の「青邨記念館」にあり、書き直された 絵は最高裁判所にかけられています。


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